大阪地方裁判所 昭和43年(ヨ)4726号 決定 1969年3月10日
申請人 増田昊司
被申請人 株式会社栗本鉄工所
主文
申請人の申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
理由
被申請会社が肩書地に本社を、大阪市大正区千島町、同市住吉区柴谷町、同市住吉区北島町の三ケ所に工場を、東京都に支社を、福岡、名古屋、仙台、札幌各市に支店を有し、従業員約三、四〇〇人を使用して、鉄管、産業機械、橋梁、プレス、バルプ等の製造、販売、据付等を業とする株式会社であり、申請人がその従業員であつて、同市住吉区柴谷町所在の被申請人住吉工場に勤務し、検査課、産業機械係副主任の地位にあつたものであり、かつ被申請会社従業員で組織する栗本鉄工所住吉工場労働組合の組合員であること、被申請会社が申請人に対し、昭和四三年九月二一日付で、同年一〇月一四日から住吉工場機械設計部長付東京駐在員として、東京支社に転勤すべき旨の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争がない。
第一、人事権の濫用、労働協約違反の主張について、
本件疎明資料によると、被申請会社は、近時産業機械、特にプラント関係の営業に伴う受注および納入後の技術サービス部門を強化しなければならない状勢になつたため、住吉工場の設計部から二十数名の技術者を東京に駐在させていたが、これらの者は、主として、プラント、橋梁、水門関係の受注活動に関する技術的支援をするのに手一杯であるため、技術的なアフターサービス面については、住吉工場の技術員が東京出張を繰り返していたが、これでは種種支障もあり、必要に応じ切れないため、これを解決する要に迫られ、駐在員一名を増員することになつた。そこで、被申請会社は、右要員を選こうするについて、右要員は技術的なアフターサービス面を担当するものであるので、現場に経験のない設計技術者よりも、現場に経験を有し、かつ化学関係機器の多いプラントの技術サービスには、機械関係より化学関係出身者の方がより適任であると考えたこと、そして、種々選こうの結果申請人が検査課で、プラント関係を担当している技術者であり、単なる机上の設計者ではなく、室蘭工業大学工業化学科を卒業した検査課では唯一の化学関係大学卒業者であつたので、被申請会社は申請人を最適任者と考えたこと、しかし、数少い技術者を東京へさくことになるので、東京駐在員としては、プラント関係が中心になるのではあるが、特にプラントに限定せず、可能な限り、次第に領域を拡げ産業機械一般の技術サービスを担当させたいため、住吉工場機械設計部長付として東京駐在を命じたこと、が疎明せられる。
ところで、労働協約第二二条に「人事は会社がこれを行い、公平且つ民主的に行うことを期する」と、同第二五条に「会社は組合員の人事異動について、本人の能力、適性、意思および生活条件を公平に考慮して行う」との定めがあることは当事者間に争がないところ、右条項は会社が人事権を専有していることを明示すると共に、会社がこれを行使するに当つては、本人の個人的な事情をも無視することなく、充分配慮すべく、濫用してはならない旨を表明したものと解せられ、従つて、転勤に当つて本人の個人的な事情をどの程度考慮すべきかは結局会社の経営上の必要の度合いとの相関関係においてそれが人事権の濫用にならないかを社会通念に従つて判断することに帰着するものといわねばならない。しかるところ、前記認定事実によると、被申請会社が申請人を東京支社に転勤させるについては、一応、その経営上の必要が相当大きかつたものといわねばならない。申請人はこの点につき右転勤は余人をもつてかえうるものである旨主張するが、余人をもつてかえがたいような職務は、恐らく如何なる企業においても皆無に等しいであろうし、右経営上の必要をかく解することは妥当でなく、申請人の従来の勤務内容からすれば、東京支社における勤務内容を以て直ちに職種の変更とすることはできないのみならず、未経験の部門があるからといつて能力適性に欠けるものと断定することはできず、大学卒業の技術者として幹部要員となることの予定されているものには知識、経験の増大は当然予定せられているものであり、かくすることにより幹部要員の成長充実はもとより、企業の発展充実を期しうるものというべきである。
そこで、申請人の個人的事情について考えるのに、本件疎明資料によると、申請人宅付近には大阪市立住吉保育所があつたが、ある事情から申請人の子供等付近の幼児が右保育所に入所できないことになつたので、申請人等付近の住民等が福祉事務所、市民生局等に抗議交渉をした結果市では、昭和四四年度には新たに付近に市立保育所を設けるが、それまでは住民において大阪市認可のベビーセンターを設置すべきことを勧めたので、申請人は申請人の妻名義でベビーセンターを設置し、昭和四三年七月一日から乳幼児を受託し、妻が保母二名と共に働いており、妻は右ベビーセンターを廃止しなければ申請人と共に東京に行くことはできず、従つてそのままであれば申請人と別居を余儀なくせられること、申請人の妻は元来病弱であつたが、右転勤命令当時、別居していては健康に支障を及ぼす虞がある状態にあつたとは認め難いことが疎明せられる。
もし、申請人の妻が託児所の経営を続けていこうとするならば、本件転勤によつて申請人が別居を余儀なくせられることは明らかであり、またこれにより世帯が二分せられ、これに伴い生活費の増加、通信、交通費等の余分の出費を余儀なくせられるであろうことも明らかであるが、右別居は申請人自身の主張によつても明らかな如く無限になされるものではなく、遅くとも一年半位のものにすぎず、しかも、現在の東京、大阪間の交通事情からすれば土曜日に帰省し、申請人において残留家族の面倒、託児所の経営、その他の所要を果すことは容易であり、別居に伴う出費の増加も、申請人の会社における地位(従つて、その収入も相当のものであろうことが推測せられる)、家族数からみれば、申請人に経済的に左程重大な影響を与えるものとも考えられない。そして、たとえ、申請人の妻の健康状態が、申請人の協力なしに託児所を経営していくことに困難であつたとしても、次のような事情を考慮すると、これを重視することは必ずしも当をえない。
一方、本件疎明資料によると、申請人は前記の如く大学卒業後、東京都、福岡、名古屋、仙台、札幌各市に、支社、支店を有する大企業である被申請会社に雇傭せられ、ゆくゆくは同社の幹部として活躍すべく嘱望せられていたもので、申請人自身も当然他地へ転勤することのあることを予定して入社したものであること、申請人は、これまでにも、被申請会社から名古屋支店への転勤、あるいは海外出張の内示を受けたが、その都度、妻の健康等を理由に拒否してきたのであるが、特に昭和四三年三月、被申請会社からブラジル国三井肥料納入の肥料機械据付工事指導のため海外出張を内示せられた際、妻の出産等を理由にこれを拒否し、会社の諒承をえられたのであるが、その際被申請会社住吉工場長から、申請人は大学卒の優秀な技術者であり、一生検査で勤務させるつもりはない。何時かはより高度な技術業務についてもらうため、転勤を命じたり、海外出張を命じたりするから、その時のために家庭事情を整えて会社の命令に即応できるようにしてもらいたい旨申渡され、申請人も努力をすることを約したこと、しかるに、申請人は前記の如く自宅付近での保育所問題が公になるや、同年五月頃から、昭和四四年度に大阪市が住吉保育所に代る保育所を開設するまでの暫定的なものではあつたが、大阪市の補助のもとに、自宅を改造して、妻名義で託児所を開設したことが一応認められる。もとより、申請人の妻名義で開設せられた託児所が、大阪市の補助のもとになされた、いわば、公共的な性格を多分に有するものであることは否定しえないが、公共的事業といつても、他に雇傭せられているものにとつては、無条件、無制限に許されるものではなく、その企業に支障を来さない限度において許されるにすぎないもので、そこには社会通念上一定の限度があるものと解すべきである。しかるところ、申請人は、前記の如く会社から何時でも転勤できるよう家庭環境の整備について特に注意を受け、申請人自身もこのことを諒承していたのであるから、申請人としては転勤ないし海外出張に支障を来すような行為は極力これを避けるべく努力するのが、事理の当然というべきである。しかるに、申請人は右忠告後、間もなくして、敢て家族との別居を招来するような託児所の開設を行つたのであり(申請人のみが特に右託児所の開設を引受けねばならないような事情があつたことの疎明はない)、もしその間に転勤命令があれば、申請人としてはこれを理由に転勤命令を拒否しようと考えていたものと解さざるをえない。もし申請人が漫然と昭和四四年度に市立保育所が開設せられる頃までは転勤がないものと推測していたものとすれば、前記経緯に照すと、一方的な独りよがりというべきであろう。これらの経緯に徴すると、かくの如き結果を招来するような行為を敢て行つた申請人において、これにより生じるであろう支障ないし困難を会社に転嫁することは相当でなく、自らがこれを解決するのが相当であり、昭和四四年度に市立保育所が開設せられるまで会社が申請人の転勤を命じえないものと主張することは信義則上許されないものというべきであろう。そして、申請人の妻が託児所を廃止しても、これにより託児関係が断絶するものと断定するのは早計であり、大阪市を始め、託児関係者においてもその善後処置をとるべき当然の筋合であり、申請人の妻がどこまでも託児所の開設を固執しなければならない理由を発見しえない。以上の事実を合せ考えると、申請人は本件転勤命令を忍受すべきが相当であると考えられ、右転勤命令が人事権の濫用になるほど、本人の個人的な事情を無視した措置であるとは認められないし、また労働協約第二五条に違反した無効のものということもできない。
第二、不当労働行為ないし労働基準法第三条(思想信条による差別禁止)違反の主張について、
本件疎明資料によると、申請人が昭和三九年、二〇人に一人の割合で選ばれる被申請会社労働組合の代議員となり、昭和四〇年から昭和四三年までは常任委員(単位組合で一九人位、六〇人に一人)の地位にあり、昭和四一年八月から昭和四二年八月まで文化部長の地位にあつたこと、会社が昭和四三年六月頃これまで非組合員であつた申請人と同姓の増田日出男(守衛)を倉庫係に転勤させたこと、同年七月二五日行われた組合の選挙において、増田なる票が右両名に二分し、申請人が次点となり落選したこと、その結果、申請人が組合の選挙管理委員会にその調査を求めたが、同委員会においてこれに応じなかつたこと、そして、選挙投票用紙を焼却したことが疎明せられるが、被申請会社が、申請人が活発な組合活動を行つたことを理由に、あるいは申請人の思想信条を理由に、本件転勤命令をなしたを認めるに足る疎明はない。
そうすると、申請人の申請はその理由がないものというべきであり、疎明に代る保証を立てさせることも相当でないから、これを失当として却下すべく、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 大野千里)